遊覧船ガイドの話の稽古④浜辺の飛行場の話

遊覧船を停泊してる大阪府堺市の出島漁港に「航空輸送発祥記念碑」という碑があります。
ライト兄弟の有人動力飛行の1902年から20年経った1922年に井上長一さんが「日本航空研究所」という日本最初の民間航空会社を設立しました。
滑走路を作ると莫大な費用がかかるので水上艇で出島の海から白浜、徳島、大分に人や荷物を乗せて飛んでいました。
その頃の客室乗務員の呼び名は「エアガール」^_^。お客さんにビールなど提供してたようです。
しかし当時は戦時中で「空の旅など贅沢は国の敵」という風潮もあり業務停止を国から余儀なくされます。
このとき井上長一さんは「我が子を葬られた」と無念であったようです。
しかし終戦7年後の1952年から井上長一さんは「極東航空」という会社を立ち上げました(これは堺ではありませんが)。やがて1958年に東日本を中心に航路をもつ「日本ヘリコプター運輸」と合併します。
これが現在の「全日空」です。
※全日空のNHの表示はこの日本ヘリコプターの略です。
全日空の祖先が堺の海とは( ̄▽ ̄)
Filed under: 堺のお話,観光案内 — kc-sakai 12:20 PM  Comments (0)

遊覧船ガイドのお話の稽古③日本最古の私鉄の話

むかし南海本線堺駅東側ロータリーに吾妻橋すてんしょ
(ステーションと停車場を組み合わせた呼び方)がありました。
1872年明治5年に日本初の官営鉄道が新橋~横浜間で開通しました。
1877年の西南の役で政府が財政難となり、それから半官半民の形で鉄道が増えてきました。
堺のシンボルである大浜の灯台もこの年にほぼ民間の資金で誕生しています。
日本で初めての純資本民営鉄道は1884年設立の大阪堺間鉄道、
今の南海電気鉄道で、当時の発起人19名のうち12名が堺の人です。
豆を使って人や荷車の通行量を計算して、「これは採算が取れる」ということで事業化が決定したそうです。
1885年に難波~大和川北岸が開通。
しかしまだまだ鉄道の認知度は低く「鉄道」とは火を噴く恐ろしいものであり、
人力車の稼業を邪魔するものという誤解もあり、工事を人力車の会社が人夫を使って妨害する事件があったりと、すんなりいかなかったようです。
大和川の橋梁工事では洪水や、イギリスから取り寄せた鋼材を積んだ船が暴風で遅延など大変な苦労の末、3年後の
1888年に難波~吾妻橋間が開通しました。
その後1903年には吾妻橋~和歌山開通となり、
1907年には難波~浜寺公園まで電化が完成。住之江に発電所があったそうです。このとき鉄道車両では日本初の扇風機が搭載されています。
1936年にはこれまた鉄道車両では日本初の冷房車が誕生しています。(現ダイキン製)
当時ダイキンは起業したばかりのベンチャー企業で、23度で冷房が切れるなど斬新な機能が搭載されていたようです。
新聞にも取り上げられて大盛況だったのですが、混雑して車内は暑かったようです。
また戦時中の「贅沢は国の敵」という風潮もあり1年で姿を消しました。
吾妻橋という地名ですが1790年から20年かけて堺旧港の修復工事で大変功績がある東京浅草の商人「吉川俵右衛門」という方が住んでいた所。
東京→東(あづま)の人の住まいということで吾妻橋(あづまばし)となりました( ̄▽ ̄)
Filed under: 堺のお話,観光案内,運航日記 — kc-sakai 12:14 PM  Comments (0)

遊覧船ガイドのお話の稽古②三味線の話

堺の貿易が盛んだった1562年。琉球から堺の港へ来た船乗りがお土産に珍しい弦楽器を持ちかえりました。
蛇皮の丸いボディに2弦(もともと3弦のうち1弦切れてたかも)を張ったサムシェン(三線)と呼ばれるその楽器は、中国から琉球に伝わり当時はすでに琉球内で普及しておりました。
このお土産をヒントに堺の盲目の琵琶法師が弦3本、太く長い棹(ネック)、四角くしたボディに猫皮を張り、大きな撥(巨大なピック)で弾くように仕様改造したのが三味線の始まりです。
盲目の障害を克服して収入を得るため、琵琶法師に盲目の方が多かったんです。。
琉球からきたそのサムシェンのサイズでは琵琶より小さいため、演奏の感覚が慣れている琵琶のサイズに改造しました。
さて1527年、「高三隆達(たかさぶりゅうたつ)」という人が堺で生まれました。
隆達の祖先は12世紀に中国から九州に渡来、そのあと堺にやってきて薬種商を営んでいました。
隆達は子どものころに日蓮宗顕本寺(宿院にあります)で出家、仏道を修行する一方で、声曲、連歌、書画に非凡な才能を発揮していたそうです。
芸能が大好きだった豊臣秀吉からのリクエストで歌や自筆の書を呈上してたいへん喜ばれたとあります。
やがて古歌や自作の詞にオリジナルの節まわしをのせた「隆達節」というジャンルを確立します。その曲の数はなんと500曲超え。
曲調は文字数7→5→7→5..の詞を繰り返しの形式。いまの小唄です。歌詞は恋愛感情や男女の機敏な関係などが多く、また戦乱や疫病の時期の作品では「人生一度だけ、、」的な曲もありました。
堺で開発された三味線が全国に展開する時期と相まって、新鮮で堅苦しくない「隆達節」は全国に受け入れられて広がっていきました。
隆達さんてシンガーソングライターでもあるモダンなお坊さまだったんですねー( ̄▽ ̄)
三味線は日本を代表する楽器のイメージがありますが古代からあった琴、琵琶、太鼓、笛などに比べるとずーっと新しい楽器になります。
やがて時代とともに和事歌舞伎、荒事歌舞伎、義太夫、人形浄瑠璃、落語、民謡、漫才などに幅広く用いられていきます。
また持ち運びが便利なように棹が3分割します。
ギターがポピュラーになる前は、宴会では
みんなが集まれば三味線で盛り上がったりしていました
Filed under: 堺のお話,観光案内 — kc-sakai 11:38 AM  Comments (0)

遊覧船ガイドの話の稽古①大和川の話

大阪市と堺市の間にある大和川はもともと奈良から流れてきて石川と合流、河内平野を通って淀川に流れていました。
その川を中心に古代から田畑が開かれてましたが天井川のためたびたび川の氾濫、洪水があり、奈良時代から治水対策の工事が行われていたと記録にあります。
洪水の被害を解決すべく「大和川付け替えの嘆願書」と「付け替え予定地反対の嘆願書」が双方の地元農家などから提出されますが1703年、幕府が工事費をほとんど負担する形で現在の大和川の付け替えが決定します。
このとき堺の商人たちの反対が思ったより少なかった背景として、貿易よりも金融業にシフトしていたためという説があります。
8か月という早さで1704年に付け替え工事が完了してから旧大和川のまわりでは50ヶ所以上の新田が開発されて、年貢が増え5年後には幕府の負担費用の補てんができました。
逆に完成した大和川が運んでくるたくさんの土砂によって堺の河口では4ヶ所の新田ができましたが、中世の繁栄のシンボルだった堺の港は埋没してしまいました。
その様子をみてなんとかしなければと立ち上がった人が江戸浅草の商人「吉川俵右衛門」でした。
吉川俵右衛門の呼びかけにより地元の協力者などを取り付けて1790年から約20年がかりで堺の港を修復します。これが現在の堺旧港の原型です。
先人の治水と港復興の苦労の歴史に感謝しつついまもある自然災害の被害にあわれた皆様へ心よりお見舞い申し上げます。
Filed under: 堺のお話,観光案内 — kc-sakai 11:19 AM  Comments (0)

9/17sunは運航を中止致します。

本日、9/17sunは台風18号の接近に伴い、堺のんびりクルーズの運航を中止させて頂きます。
またのご来場をスタッフ一同お待ちしております。

お問合せ
観濠クルーズSakai
072-229-8851

Filed under: 報告 — kc-sakai 9:28 AM  Comments (0)

2017 6/18sunの運航報告です^ ^

170618sun 本日の運航報告です。天気は少し雲ったりしましたが、大方は陽が差す暑い一日でした。11,12,13,14,15時発の5便全便を運航し34名の方に乗船して頂きました。
川面のゴミも殆ど無く、透明度は2〜3mで川底まで見え、クラゲが結構おりました。ほぼ海ですからね^ ^
14時便をマンツーマンで案内させて頂いた女性は下船時に会社の同僚(新採)と判りびっくり^^; 環濠に関わる仕事の為、勉強に来た様です^_^
連絡事項は特に無いですが、黒鞄を整理して頂いたので随分軽くなりました。金庫を軽量化しもっと小さな鞄カバンにすると更に持ち易く、運び易くなりそうです。何方か不要の軽い金庫と鞄はありませんか^ ^?
スタッフは船長に真宮・香川、受付に森・久保・中本、ガイドに細野・西河。
此れから何時もの初芝千寿の湯で2日分のアルコールを抜いて来ます。
以上、報告は堺河川ボランティアの西河嗣郎でした^_^

Filed under: 運航日記 — kc-sakai 6:45 PM  Comments (0)

5月14日(日)運航報告

本日は天候にも恵まれ、快晴のもと5便すべて出船し58名の方にご乗船頂きました。

スタッフ(敬称略)は、石田、柴、松尾、天満、小林、宗和の6名でした。

 

【重要!】エンジンについて

13日の班長から聞いていた情報として、運航時から冷却水の排水に勢いが無く、フ

ルスロットルでの回航時に、一瞬煙が出た(十分な冷却が出来ず、エンジンが熱を帯

びたものと思われます)との事でしたので、本日は平均中速航行で走らせたり、桟橋

帰港時毎回排水口を清掃するなどして凌ぎました。

最終出島回航後に大浜ドック若林さんに相談して状態を見て頂くと、やはり水に勢い

が無いとのコメントでしたので、メーカーに聞いて頂ける(即時電話して頂きました

が、着信せず)との事で本件お預け致しました。

 

その際それとは別件で若林さんから重大なご指摘を頂きました。

プロペラの破損状態が酷いため、直ちにプロペラを交換すべきとの事でしたので、そ

の場でプロペラの取り寄せと交換を発注させて頂きました。

次週運航時までに新品に交換出来ているとの事です。

 

因みに3枚のプロペラ面積が削れてバラバラになると、振動が激しくなって偏った回

転がエンジンシャフトを破損し、最悪エンジン交換という莫大な費用が生じる可能性

があるとの事でした。

 

私も気を付けようと思いますが、船体を当てないように上手く操船する事よりも、ペ

ラを当てない事の方が重要で、神経を使うべきである事を再認識致します。

Filed under: 運航日記 — kc-sakai 9:08 PM  Comments (0)

5月7日(日)運航

今日はゴールデンウィーク最終、絶好のクルーズ日和となりました。

川沿いの鯉のぼりも気持ちよく泳ぎ、ご乗船頂いた86名のお客さんも、

きっとご満足いただけたかとおもいます。

また、子どもの日クルーズということもあり、27名のこどもさんが、

乗船してくださいました。ありがとうございました。

Filed under: 運航日記 — kc-sakai 12:25 PM  Comments (0)

今日は絶好のクルーズ日和^ ^ 11時から15時までの5便全便を運航し、大人から子どもまで59名の皆さまに乗船して頂きました。
流石に桜は散りましたが、次は堺の花木であるツツジが咲き始めています。また護岸には地元栄橋駅前商店会が設置した365尾のコイが悠々と泳ぎ皆さまをお出迎えしています。 本日は中国、韓国のご家族も乗船頂き、国際色も豊かな充実した1日でした^ ^
本日のスタッフは、船長に香川・宗和、ガイドに柴・西河、受付に高山・中山、事務連絡として、
・ガソリンはメインはフルタンクですが、サブタンクは空ですので、次週の当番の皆さま、補給を宜しくお願い致します。
・受付コーナーのスダレを新調しました。此れからの暑い季節も何とか凌いで下さい^^
・ガソリン給油ポンプ(スポイト)を一回り径の大きなものを新調しました。電池式はかまけて放置すると危ないので手動のままですが、作業は少しは楽になると思います。

以上、報告は西河嗣郎でした。

Filed under: 運航日記 — kc-sakai 10:29 PM  Comments (0)

4/16sun 運航報告です^_^

170416sun 堺のんびりクルーズ当番^ ^ 久々に船長と言うことで緊張致しました。船長はつらいよ(責任が重いので^^;) めちゃ天気の良い一日で日焼けもしましたが、各地から多くの皆さんにお越し頂き、総勢68名の皆さまに乗船して頂き、水辺から観る堺を堪能して頂きました^ ^
次いで引き継ぎ事項です。
①ガソリンはサブタンク補充しました。メインタンクは半分残。ガソリン給油のスポイトは細くてしんどいので増径するか電動式に替えたいな^ ^
②フルタンクで6便は可能ですが、船長はもっと正確な燃費を把握した方が良いのでは^^;
③すだれが老朽、買い替えたいです^^;
④10%割引もあって計算複雑、運航終了後、精算に30分掛かりました。前田さんプンプン^ ^ 加えて分析データシートに便別シートから直接記入するのは至難。中継シートが要るのではとの意見。
⑤駅前のノボリを廃止しましたが、乗船場に差し込みパイプを増設すれば、残ったノボリを立てれそうです^_^
以上、気の付いたことまで。言い出しっぺか対応すれば良いのでしょうが、、、
ゆっくり対応しましょう^ ^
本日のスタッフは、ガイド 前田さん、堀中さん、地上班 金本さん、船長は石田さん
と、本日の班長 西河でした^ ^

by Shiro

Filed under: 運航日記 — kc-sakai 11:30 PM  Comments (0)
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