曽呂利新左衛門〜豊臣秀吉を天下取りへ導いた落語家の始祖〜
皆様、こんにちは。
〈観濠クルーズSakai堺のんびりクルーズガイド〉松永です。
暑さ寒さも彼岸までと申しますが、ひと雨ごとに秋が深まり涼しくなって参りました。
皆様におかれましては、お身体にお気を付けて実り多き秋をお過ごしになられますよう、お祈り申し上げます。
今回は【曽呂利新左衛門】について~諸説あり〜
「何でも好きな褒美をやる」と言われたら何が欲しいですか?
時間?自由?それとも・・・紙袋一枚分のお米?
本姓は杉本氏、名は新左衛門のほか甚右衛門や彦右衛門といい、剃髪後は坂内宗拾(さかうちそうじゅう)と号した曽呂利新左衛門は、堺で刀の鞘を作る鞘師として活躍し、天下一の名人といわれていたほど、極めて巧みな腕前でした。
作られた鞘は、刀が塩梅に収まりソロリと抜けることから「ソロリの新左衛門」と呼ばれ、この名がついたといわれています。
歌道や香道に通じ、絵画・揮毫においてもその多彩な才能を発揮し、茶道は千利休の師でもあった武野紹鷗より学びました。
やがて、豊臣秀吉に御伽衆として仕えます。
この御伽衆というのは、室町時代後期から江戸時代初期にかけて将軍や大名の側近に侍して、相談や雑談に加えて自己経験談に応じたり、書物の内容や語句の意味を説明したりする職業です。
大名・将軍・儒僧・堺の茶人や町人などから仕えた御伽衆を最も多く召し抱えたのは、豊臣秀吉といわれ、その数はなんと800人以上にのぼりました。
その中で、曽呂利新左衛門はユーモアなセンスで御伽衆の中でもトップクラスに上り詰めました。
そんなある日のこと、曽呂利新左衛門は豊臣秀吉よりお呼びがかかります。
・豊臣秀吉「いつの日も楽しませてくれているゆえ、何でも好きな褒美をやるが、何か欲しいものはあるか?」
↓
・曽呂利新左衛門「それでは、有り難きお言葉に甘えて、紙袋一枚分のお米を分けて戴きたいのですがよろしいですか?」
↓
・豊臣秀吉「なんだ、紙袋一枚分でよいのか?」
↓
・曽呂利新左衛門「はい、紙袋一枚分で結構でございます」
しかし、この約束を交わした日から数日間、曽呂利新左衛門は姿を見せませんでした。
すると、心配していた豊臣秀吉の元へ家臣より一報が届きます。
なんと、曽呂利新左衛門は大勢の人を集め、紙を張り合わせて、米蔵が入るほどの大きな紙袋を作っていたのです。
先日交わした「紙袋一枚分の褒美をやる」という約束が頭を過ぎった豊臣秀吉は急いで米蔵へ駆け付けましたが、時は既に遅し、米蔵はその大きな大きな紙袋で包まれていたのでした。
曽呂利新左衛門は満面の笑みを浮かべ、一本取られたと言わんばかりの豊臣秀吉は苦笑いしていたとか、していないとか・・・
つい惹き込まれてしまい、人を楽しませることの難しさを感じさせない多くの逸話は今もなお語り継がれ、愛されています。
堺市堺区市之町東にある屋敷跡には碑が建てられ、同じく堺市堺区にある妙法寺には忌碑が建てられています。
豊臣秀吉を天下取りへ導いた落語家の始祖は、どのような話術で人を楽しませていたのだろうか?と想像を膨らませながら、偲びたいと思います。
最後までありがとうございました。
また、船上にて笑顔で元気にお待ちしております。
レッツ!トライ!【曽呂利新左衛門クイズ】コーナー〈難問度:★★★〉
日本の各地に曽呂利新左衛門が○○したものが今もなお残されています。
さて、この○○に入るのは次のうちどれでしょうか?
1、建造
2、調理
3、作庭
正解は、、、次回のブログで発表しますので次回のブログも皆様ぜひチェックして下さいませ。
【 堺市歴史人物クイズ 】~正解発表~
令和四年(2022)7月8日のブログ[堺市歴史人物クイズ]で出題したクイズの正解を発表します。
Q1、千利休(せんのりきゅう)
Q2、与謝野晶子(よさのあきこ)
Q3、曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)
Q4、津田宗及(つだそうぎゅう)
Q5、呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)
〈観濠クルーズSakai堺のんびりクルーズガイド〉松永
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