横山やすし~20世紀を代表する天才漫才師~
皆様、こんにちは。
〈観濠クルーズSakai堺のんびりクルーズガイド〉松永です。
今回は【横山やすし】について~諸説あり~
横山やすし
漫才師
昭和十九年~平成八年(1944~1996)
本名は木村雄二、愛称はやっさん、20世紀を代表する天才漫才師と称賛された横山やすしは、旅回り一座団員の男性と沖の島にある旅館の仲居をしていた島民女性との間に高知県宿毛市沖の島で生まれました。
分娩を引き受けたのは、沖の島伝説の保健師として地域医療発展の先駆けとなった荒木初子といわれています。
生後まもなく、高知県に疎開していた木村家へ養子に入り、大阪府堺市堺区神石市之町で育ちました。
堺市立神石小学校入学後は友人とよくスポーツをして過ごし、堺市立旭中学校入学後は陸上部に入部し、優秀な選手として活躍しました。
中学校生活を謳歌する傍ら、友人の岡田好弘(堺正スケ)を誘い、ラジオ素人参加番組に出演したことを機に漫才師になることを決意し、卒業式では拍手喝采の中で漫才を披露したといわれています。
卒業後は、現在の松竹芸能である松竹新演芸に入社し、〈堺伸スケ・正スケ〉と命名され、少年漫才師としてデビューしました。
しかし、デビューから2年後に解散し、横山ノックの弟子となり、弟子修業に励み、〈横山やすし〉の芸名を与えられ、吉本興業に移籍しました。
それからしばらくして、西川きよしと〈やすしきよし〉でデビューしました。
台本を2回読むだけで漫才の流れを掴むやすしがネタの大半を作成し、きよしがそのネタに訂正を加え、2人は他の漫才師を徹底的に分析しました。
そして、他の漫才師にない動きが面白いどつき漫才を目指すようになり、舞台の中央にあるマイクから離れて動き回るという革新的な漫才を編み出しました。
ボケとツッコミが交互に入れ替わる独特な型破り漫才の基礎となり、結成から1年後に第2回上方漫才大賞〔新人賞〕を獲得したほか、 結成から5年後に第5回上方漫才大賞〔大賞〕を受賞し、テレビ出演を果たし、「人生が右肩上がりになるように」と右肩上がりに書いていたサインの通り、その地位を不動のものとしていきました。
また、20数人の弟子の中には、ホラ吹き漫才の第一人者〈横山たかし・ひろし〉が上方漫才大賞〔大賞〕を受賞しました。
さらに、後に競艇界で多くの記録を打ち、「モンスター」と言う異名を取る、堺市立旭中学校時代の同級生で親友の野中和夫を誘い、ライフワークとなるモーターボート(競艇)を始めると、やすしはその才能を発揮し、アマチュアのレースに出場するようになりました。
山梨県の本栖湖にあった研修所で受験し、視力の合格基準である1.0に及ばず不合格となってしまいましたが、全日本K400選手権大会(アマチュア)に優勝し、活躍しました。
ところが、何事にも一番を目指し、特に漫才に対して一切の妥協を許さず、常に最高の笑いを極み続けるが故に理想の笑いでなければ自身を責め、酒に溺れてしまいました。
とある番組で、「これからどのように生きていきたいか」との問いに、やすしは「普通どおり、機嫌よう朝起きてやな、機嫌よう飲み食いしてやな、機嫌よう芸できたらええ」と、答えた数年後に51歳という若さで、この世を去りました。
昭和や平成の時を経た令和の今もなお、やすしの笑いは絶大な人気を誇り、多くの人から支持されています。
天国から、笑いを届けてくれることを願い、後にも先にも現れないだろう伝説の漫才師を偲びたいと思います。
ほな、次回のブログもチェックせな、怒るでしかし!
最後までありがとうございました。
また、船上にて笑顔で元気にお待ちしております。
レッツ!トライ!【横山やすしクイズ】コーナー
横山やすしが競艇選手の他に抱いていたといわれている夢は、次のうちどれでしょうか?
1、自衛隊
2、消防士
3、警察官
正解は、、、次回のブログで発表しますので次回のブログも皆様ぜひチェックして下さいませ。
【 堺会合衆黒幕説から見る本能寺の変クイズ 】~正解発表~
令和三年(2021)2月7日のブログ[堺三大まつり]で出題したクイズの正解は、、、「1、妙国寺」です。
本能寺の変前日に開催された堺茶会の接待を受け終えた徳川家康が宿泊したといわれていわれいる妙国寺には、樹齢1,100年の大蘇鉄が国の天然記念物に指定されています。