2019 年 11 月 17 日
遊覧船ガイドのお話の稽古③日本最古の私鉄の話
むかし南海本線堺駅東側ロータリーに吾妻橋すてんしょ
(ステーションと停車場を組み合わせた呼び方)がありました。
1872年明治5年に日本初の官営鉄道が新橋~横浜間で開通しました。
1877年の西南の役で政府が財政難となり、それから半官半民の形で鉄道が増えてきました。
堺のシンボルである大浜の灯台もこの年にほぼ民間の資金で誕生しています。
日本で初めての純資本民営鉄道は1884年設立の大阪堺間鉄道、
今の南海電気鉄道で、当時の発起人19名のうち12名が堺の人です。
豆を使って人や荷車の通行量を計算して、「これは採算が取れる」ということで事業化が決定したそうです。
1885年に難波~大和川北岸が開通。
しかしまだまだ鉄道の認知度は低く「鉄道」とは火を噴く恐ろしいものであり、
人力車の稼業を邪魔するものという誤解もあり、工事を人力車の会社が人夫を使って妨害する事件があったりと、すんなりいかなかったようです。
大和川の橋梁工事では洪水や、イギリスから取り寄せた鋼材を積んだ船が暴風で遅延など大変な苦労の末、3年後の
1888年に難波~吾妻橋間が開通しました。
その後1903年には吾妻橋~和歌山開通となり、
1907年には難波~浜寺公園まで電化が完成。住之江に発電所があったそうです。このとき鉄道車両では日本初の扇風機が搭載されています。
1936年にはこれまた鉄道車両では日本初の冷房車が誕生しています。(現ダイキン製)
当時ダイキンは起業したばかりのベンチャー企業で、23度で冷房が切れるなど斬新な機能が搭載されていたようです。
新聞にも取り上げられて大盛況だったのですが、混雑して車内は暑かったようです。
また戦時中の「贅沢は国の敵」という風潮もあり1年で姿を消しました。
吾妻橋という地名ですが1790年から20年かけて堺旧港の修復工事で大変功績がある東京浅草の商人「吉川俵右衛門」という方が住んでいた所。
東京→東(あづま)の人の住まいということで吾妻橋(あづまばし)となりました( ̄▽ ̄)
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