堺の環濠6(最終回)

1945年8月、日本の無条件降伏により戦争は終結、日本はすっかり灰になってしまいました。

戦後復興を進めながら、日本政府は所得倍増計画を含む「高度経済成長政策」を掲げます。

地方の若者を企業がまとめて雇用する「集団就職」と戦争中に進化した「官民一体の技術力」で

飛躍的な経済発展に繋げるというものでした。

堺では1953年(昭和33年)堺臨海工業地帯の埋め立てが始まりました。

かつて阪堺電車の車窓から見えたネギやミツバの田園と風車の景色は姿を消しました。
万葉集にも詠まれた堺から高石にかけた白砂青松の海岸も埋め立てられてしまいました。

あまりの急な変わりように
「子どもの溺死が減って交通事故死が増えた」という言葉があったそうです。

かわりに大手の石油会社、製鉄会社、電力会社の施設が出現しました。

当時の堺臨海工業地帯の石油消費量は大阪府全体の消費量の半分を超えていました。

当然、深刻な公害の問題が起きます。

埋め立ての拡張によりたくさんの漁業従事者が廃業や移転に追い込まれました。

大阪湾は瀬戸内海、紀伊水道と繋がる大きな湾です。

波、風も比較的穏やかで淀川、大和川、石津川から流れこむ栄養豊富な海水によって

美味しい魚介類が育ちます。

イワシが有名で四国、九州のほうからきた群れが紀伊水道を通って

大阪湾の豊富な栄養でまるまると育ちます。

しかし工場排水、生活排水で大阪湾の汚染が進み、タコやカキからは

基準を超えるカドミウムが検出されます。
カドミウムは「イタイイタイ病」を引き起こし、腎臓に

深刻なダメージを与える物質です。

たちまち大阪湾の魚介類は食べれないというイメージが拡がります。

また大和川の水質汚染はとくに酷く、メタンガス、硫化水素、アンモニアガスの

含有量が国の基準の5〜90倍(時期によります)。
そのままでは水道原水として利用できるレベルでは無くなりました。

「日本一汚い一級河川」というワードは私が小学生の時に聞きました

(ちなみに1965年生まれです)。

また煙突からは猛毒の物質が大量に吐き出され、
1970年の調査では慢性気管支炎の患者数が堺、大阪、四日市、川崎、尼崎のなかでは

1番多い14人に1人という恐ろしい数字が残っています。
畑のほうれん草が一夜にして枯れた事例もありました。

また戦後復興の資材確保と、好景気による地価高騰で宅地開発のため

古墳や須恵器などの遺跡を壊し始めました。

「仁徳天皇陵」など宮内庁が管理している古墳は無事ですが、

かつて100基以上あったとされる百舌鳥古墳群の古墳は現在44基にまで減っています。

いまや「世界遺産」の文化財が、たった6〜70年ほど前には国土開発によって

あっさり取り壊されていたという考えられない事実です。

また「大阪万博」で阪神高速堺線を延伸工事の際に、堺の東側南北の環壕を

用地買収の手間が省けるという理由で埋められてしまいます。

1963年(昭和38年)自然や文化財などを喪失した大きな犠牲のかわりに日本は国内総生産世界2位になりました。
敗戦から23年後のことです。
生活も便利になり自動車、冷蔵庫、テレビ、洗濯機が普及し、女性の社会進出もすすみました。

堺の環壕もすっかりゴミ箱のような姿になりました。

環壕の側にある学校は窓を開けて授業できないぐらい臭いが酷く、神辺橋のすぐそばの

「月洲中学校」は昭和53年にはすでにエアコンが装備されていました。

この中学校出身者である
高杉と植木が自前のカヌーで清掃活動を始めたのが現在の

観濠クルーズsakaiのルーツです。

行政も
「人が集える川に戻そう」
という目標を立てて川を綺麗にする工事が始まります。

復旧工事は20年という長い時間がかかりました。

現在〜
岸壁にはフジツボ、ムール貝、岩ガキ、イソギンチャク、

カニ、フナムシなどが賑やかに住んでいます。
魚はチヌ、スズキ、ハゼ、サヨリ、ボラ、コトヒキなど^_^
また世界遺産「仁徳天皇陵」の濠の「カメ」も流入しています。

ウミガメではありません^_^
それらを狙ってサギ、カルガモ、鵜などがいます。

堺の海、環壕、大和川も汚染が酷かった自分の少年時代に比べてそれは

それは見違えるくらい美しくなりました。
しかし今でも同年代から年上の人達の中には、汚染が酷かった頃の「景色」と「臭い」が

脳にこびりついているため、大阪湾の魚介類に対する「不安」を持つ方は多いと思います。

2019年11月、土居川の住吉橋あたりで鰯の大群約10万匹が現れたニュースが朝日新聞に

紹介されました。

確かにこの3年程、環壕の魚影が濃くなっていると実感しています。
今でも堺の海でイワシ漁は盛んで、春木港の船が「巾着漁」という

巻き網漁を盛大に行っています。
環壕の奥まで来たイワシの大群は、かつての経済高度成長の汚染から

かなり回復したことを示すものだと思います。

のんびりクルーズの活動主旨である

「水辺の環境の大切さのPR」
「堺の観光資源の発掘と紹介」

の活動を継続して、次世代に引き継げればと思います。

堺の環壕1〜6はこれにて終演させていただきます。
ご清聴まことにありがとうございました^_^

皆様、良い年をお迎えください
Filed under: 堺のお話,観光案内 — kc-sakai 4:56 PM  Comments (0)
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