堺打刃物

皆様、こんにちは。
〈観濠クルーズSakai堺のんびりクルーズガイド〉松永です。

今回は【堺打刃物】について~諸説あり~

堺の鍛鉄技術は、およそ5世紀頃から1日約2,000人延べ約680万人の作業員数で約15年の年月をかけ仁徳天皇陵古墳が築造された時期に伝わりました。
築造の際に使用する道具として、鍬(くわ)・鋤(すき)などを作るために全国から鍛冶屋を呼び集め、その子孫が堺に残り、受け継いだのが鍛冶屋の街の始まりといわれてます。
平安時代の頃から刀製造として引き継がれ、室町時代の頃には南蛮貿易を通じて堺から国内に輸入された煙草の葉を刻む煙草包丁が安土桃山時代の頃から堺周辺で生産されるようになりました。
当初、煙草は薬として売られていたそうですが、人気になるにつれ、煙草を切る包丁の需要が高まりました。
そして、堺は鉄砲の産地として織田信長をはじめとする権力者にも注目されるほど鉄工の技術力が高く、煙管用に煙草を細く刻む切れ味の鋭い刃物の技術は注目され、切れ味の良い堺の包丁がよく売れました。
ところが、江戸時代の頃には切れ味の悪い刃物が出回るようになり、宝暦8年(1758)に堺奉行の池田筑後守正倫(いけだちくごのかみまさのり)が堺製の煙草包丁を全て買い上げ、包丁職人を七町に集め、七町で製造された包丁のみ「堺匠」として正式に認可しました。
その七町とは、北旅籠町・桜之町・綾之町・錦之町・柳之町・九間町・神明町、この七町以外の場所で製造すると罰則を科されました。
こうしたことから、石も割れるほどの切れ味となり、徳川幕府が品質の良さを認め、他の産地の包丁と区別をするため「堺極」の刻印を附して専売し、切れ味の良さが全国に広く知れ渡るようになりました。
元禄時代の頃には出刃包丁をはじめとする現在の包丁の種類をほぼ堺の鍛冶職人が開発したといわれてます。
その堺打刃物の製造工程は、鍛冶・研ぎ・柄付けの3工程、三者の職人が専門の技術で生産する分業制です。
分業制であるがゆえの輝く美しさや鮮やかで鋭い切れ味が高く評価され、プロの料理人の方や職人の方が使う包丁の約90%のシェアを誇ります。
切れ味の良い包丁で材料を切ることにより、細胞が潰れないため、香りや舌触りが良くなり、まさに道具一つで一段と料理が美味しくなりますので、家庭で利用する和包丁も評価を高め、料亭やレストランで利用されている本格料理用包丁も需要を高め、絶大な信頼と支持を得ながら堺から世界へと多くの人々を魅了し、現在でも匠の技が受け継がれてます。

最後までありがとうございました。
また、船上にて笑顔で元気にお待ちしております。

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レッツ!トライ!
【堺打刃物クイズ】コーナー
「住之江や 堺の街の 七まちの 鍛冶の音聞く 菜の花の路」という七町の歌を詠んだ堺出身の歌人・作家・思想家は次のうちだれでしょうか?
1、与謝野晶子
2、紫式部
3、清少納言
正解は、、、次回のブログで発表しますので次回のブログも皆様ぜひチェックして下さいませ。

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【千利休クイズ】~正解発表~
令和二年(2020)8月25日のブログ[千利休]で出題したクイズの正解は、、、「1、西瓜」です。
飛喜百翁(ひきひゃくおう)が千利休を招いた際に砂糖をかけた西瓜を出しましたが、千利休は砂糖がかけられていない部分を食べ終え「砂糖をかけるなど言語道断であり、西瓜の美味しさを引き立たせるには塩をかけたほうがよい」と提唱したのが始まりといわれてます。

〈観濠クルーズSakai堺のんびりクルーズガイド〉松永

Filed under: 堺のお話,観光案内 — kc-sakai 10:05 AM  Comments (0)
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