ワーカー日誌 (第45回) 坂本はるえさん
訪問介護の仕事を始めて1年半が過ぎました。最初はとても不安でしたが、皆様のおかげで、どうにか続けられています。今でも、ワーク開始時は緊張しますが、最近は、あいさつをしてワークを始めると、少し落ち着いてきて、教えてもらった事が出来るようになりました。
自分の言うこと・することに責任を持ち、心を行き届かせたワークが出来るように努力することが、自分を成長させています。そして、それが少しでも人の役に立つなら、こんなステキなことはありません。
訪問介護の仕事を始めて1年半が過ぎました。最初はとても不安でしたが、皆様のおかげで、どうにか続けられています。今でも、ワーク開始時は緊張しますが、最近は、あいさつをしてワークを始めると、少し落ち着いてきて、教えてもらった事が出来るようになりました。
自分の言うこと・することに責任を持ち、心を行き届かせたワークが出来るように努力することが、自分を成長させています。そして、それが少しでも人の役に立つなら、こんなステキなことはありません。
居宅介護支援事業ほーぷ 西薗真貴
今月よりケアマネだよりを連載させていただくことになりました。よろしくお願いいたします。介護保険では、おなじみのケアマネジャーですが、まだご存じない方もたくさんいらっしゃると思います。
1回目のテーマは、「ケアマネージャとは」・・・
支援が必要な高齢者の生活をご本人と一緒に考える専門職です。
介護のサービス計画を立て、連絡調整します。一人ひとりの生活、性格、習慣に寄り添い、高齢でも住み慣れた、家で暮らすお手伝いをしていきます。家で暮らすことが無理になれば、一緒に施設入所も考えていきます。介護保険を受ける相談窓口でもあります。事業所に属していますが、ケアマネジャーは公正中立です。利用者本位を重視し、個別に訪問し、話すことで、理解し、押し付けずに、利用する方の気持ちを優先して考えていきます。(つづく)
先日、泉北ニュータウンの誇るミニコミ誌、『泉北コミュニティ』のサークル紹介欄に、ほーぷの地域交流サークル「ちくちくくらぶ」を、とても素敵な文章と写真を通してご紹介頂きました。おかげで、掲載翌日から、たくさんの問い合わせと新しい参加者に恵まれています。
ほーぷでは先日来、マネジメント担当(マネ担)会議という小グループ活動を始めていますが、その中で、ほーぷはもっと地域に知られなければならない、より多くの人たちに活動に参加して頂き、地域の居場所・仕事・福祉の拠点とならなければいけない、という声が挙がっています。そして、それには口コミが一番大切で、現在の参加者・利用者・関係者の皆さんの助けが欠かせない、という意見が出されました。
皆さんにとって、ほーぷは、どのような存在となっているでしょうか?いつも当欄の右側に、当団体の基本理念が記されているとおり、地域で私らしく生きる、地域に私の居場所を増やす、地域に私の仕事を作る場所、となっているでしょうか。
夢を実現することはそう簡単ではないとしても、皆さんとともに、そんな地域と組織に一歩一歩、近づいていきたいと願います。思いと時間を持ち寄りつつ、しかし気軽に、声と足をお寄せ頂ければ幸いです。ちくちくくらぶ以外の地域交流サークルでも、皆さんのお越しをお待ちいたしております! (代表理事 中村義哉)
(ほーぷレター2015年4月号より)
私がほーぷにお世話になり、2年目となります。定年退職後、縁あってスタッフの一員として迎えていただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。お元気なお年寄りと一緒に過ごして励まされているのが私自身です。これからも健康で仕事ができるかぎり少しでも、お役に立ちたいと考えています。今後とも、よろしくご指導くださいますよう、お願いいたします。
(ほーぷレター2015年3月号より)
ホープのNPO10周年記念お楽しみ会の会場でのこと 。
Kさん 「もしホープがなかったら、わたしどこへ行ってたかしら。もう7年になるのね。」、わたし「ほんとにそう。ホープがあってよかった。」私たちは月6回から8回ぐらい、ホープで遊んだり働いたり(?) する。歌う、手仕事をするコーヒー(ミセス佐渡のコーヒーは美味しい)やケーキを楽しむ、そして70代、80代のひと時を喋って過ごす。出会いもあり、知恵ももらう。ほっこり温かく楽しい(スタッフさんありがとう)。 行く所があって、私たちは素敵だ。
からだは老いていく、厳しい現実に直面しているが、新しい友、古い友(私はこの街に来て四十五年になった)と語り合う時間は、嬉しい 。
(ほーぷレター2015年3月号より)
私は昨年11月で65歳になり、これを一つの区切りと考えて、来たるべき時のための準備を始めました。きっかけは「来年度から保険料が上がります」、という保険会社からの通知でしたが、それ以外にもいくつか理由があります。
1.光陰矢のごとし、残された時間は余り長くないこと。
2.認知症で入院した兄の家(実家)を片付けに行ったものの、家中が足の踏み場もないような有様で、手をつけられなかったこと。
3.病気を持ったこと。(昨夏に大腸のポリープを切除し、糖尿病・喘息の治療も始まった)
●始めた事とこれからすべき事。
1.化粧、毛染め、アクセサリーはすべて止めました。
2.高額な商品の購入は止め、値の張る「お遊び」も程々にします。
3.ユニオン(地域の労働組合)など不可欠な活動以外からは、手を引きます。
4.昨年末と今年度末で、ごく一部を残して新聞、雑誌などの購読を止めます。
5.本、映画(Blu-Ray録画4000本以上)や、その他諸々のリストを作ること。
6.本の購入は厳選し、「積ん読」の解消を図ること。
7.「エンディングノート」を作成すること。
8.衣類の処分をすること。(私は、昔から処分については非常にドライです。かつて、辞典、事典、図鑑以外の蔵書を全部(1000冊以上)と、カメラ4台と交換レンズ、その他関連する機材のすべてを(贈与という形で)一度に捨てたことがあります。)
「準備が全て」、私はこの言葉を旅行や登山などの場面で使ってきましたが、人生のフィナーレに向けた準備はその集大成でしょうか。完了がいつになるかは分かりません。でも、万一準備が整わない事態になったとしても、その時はそのとき、状況に甘んじる心積もりはできています。
(ほーぷレター2015年3月号より)
先日、当事者性(当事者であること)について考えさせられる機会があり、マルティン・ニーメラー(ナチス時代のドイツでルター派の牧師を務め、ヒトラー登場時には、ほとんどのドイツ国民と同様に、ナチスを支持した。しかしその後、ナチスによる迫害が教会に及んだのに抗議し、最終的にザクセンハウゼンのホロコースト強制収容所に送られた)が戦後に書いた、次のような詩に触れることになりました。
「最初に彼らが共産主義者を弾圧したとき、私は抗議の声をあげなかった。なぜなら私は、共産主義者ではなかったから。
次に彼らによって社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は抗議の声をあげなかった。なぜなら私は、社会民主主義者ではなかったから。
彼らが労働組合員たちを攻撃したときも、私は抗議の声をあげなかった。なぜなら私は労働組合員ではなかったから。
やがて彼らが、ユダヤ人たちをどこかへ連れて行ったとき、やはり私は抗議の声をあげなかった。なぜなら私はユダヤ人ではなかったから。
そして、彼らが私の目の前に来たとき、私のために抗議の声をあげる者は、誰一人として残っていなかった」(森達也『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい』(ダイヤモンド社、2013年、p.61))
当事者でなければ声が上げられないことは、決してありません。そのことは、何度でも言っておきたい、と同時に、当事者が声を上げないでどうする? とも思います。世界は、変えられるし、守られるはず。ではそれは誰によって?(代表理事 中村義哉)
(ほーぷレター2015年3月号より)