迷いの介護休暇(第13回) 松本敏子さん
介護休暇がくれたもの
まもなく震災の一周年がくる。一年前、母が骨折し、介護休暇を取ろうかどうしようか悩んでいた矢先の大震災だった。多くの人が亡くなり、諸行無常とはこのことかと感じ、今を大切に生きていきたいと感じた。迷っていた介護休暇を取ることに決めた。堺へもどって3ヶ月ほどは学校時間の感覚が抜けきらなかった。お昼になるとあわただしく給食指導をしているだろう同僚を思って申し訳なく思った。自分ひとりが違う空間へ放り出された気持ちでいた。小さくなった母と手をつないで若葉の緑道をリハビリに通った。お天気の良い日は公園でお弁当をひろげ、遠足の保育園児と挨拶をかわし、手押し車のおばあちゃんとお天気の話をした。小学校のプールから歓声が聞こえてくる頃になると、ずっとこのままでもいいかもと思えるようになっていた。朝早く起きてラジオ体操し、味噌汁と炊き立てのご飯で朝ドラを見ながら朝食を取る生活は何のストレスも無かった。朝干した洗濯物はお昼には乾いて片付けることができ、毎日買い物に行き、手の込んだ夕食を仕上げて母の帰りを待つことができた。(つづく)
(ほーぷレター2013年10月号より)
~松本 敏子さん ご紹介~
ホープの利用者さまのお嬢さまです。高知在住。お母様はひとり暮らしで、介護サービスを利用中。松本さんは、1年間の介護休暇を終え、現在、仕事に復帰。