遊覧船ガイドの話の稽古⑥「すみよっさん」の話

チンチン電車「宿院駅」からフェニックス通り沿いを東へちょっと進むと「大鳥大社住吉大社両頓宮」と書かれた神社があります。
「頓宮」とは神様がちょっと休憩する場所という意味です。
毎年7月終わりになると大鳥大社の神様が来たり、住吉大社から神様を乗せた神輿の行列が大和川を越えてここで神事が行われます。

この時は堺もお祭り騒ぎで大魚夜市が立ったり花火があがったり賑やかになります。

住吉大社は海の神様です。
なので私も船長当番の日に「とんぐう」へ立ち寄って少しのお賽銭で安全第一を祈願いたします^_^

住吉の神様、通称「すみよっさん」の起源は古く、イザナギが海で「禊」をした際に海面で「ウワツツ」海中で「ナカツツ」海底で「ソコツツ」という3柱の神様が生まれました。この3柱まとめて「住吉大神」とよびます。そのあとの禊でアマテラス、ツクヨミ、スサノオが生まれてるので伊勢神宮、出雲大社の神様よりチト先輩ということになりますかね^_^

余談ですが伊勢神宮はアマテラス、出雲大社はスサノオの末裔のオオクニヌシを祀っています。ツクヨミは月の化身とか夜を管理する神様と考えられています。

住吉大神を現在の住吉大社に祀ったのは神功皇后で西暦211年、1800年ほど前に創建したとあります。神功皇后はヤマトタケルの息子「仲哀天皇」の皇后(もとは正室ではなかったらしい)であり「応神天皇」の母であり「仁徳天皇」の祖母です。仲哀天皇と応神天皇の陵墓は古市古墳群に含まれています。

仁徳天皇の時代、浪速に遷都をして住吉の港(墨江)が開港されて以降、大和政権の重要な外交窓口となります。のち遣唐使の進発港であり、貿易、外交を通じて堺、大阪の大きな発展に繋がっていったことは史実の通りです。

のんびりクルーズのフェニックス号を停泊している出島の港にはたくさんの「住吉丸」の名前の漁船があります。

住吉大社にある600ほどある古い灯籠には「さかい」の漁業関係、問屋さんなど商業関係の寄進のものが多数みられます。
大和川が付け替えられる前は大阪、堺の線引きが今ほどはっきりしてませんでしたから住吉大社は「堺のすみよっさん」とよばれてたほど

堺には馴染深かったようです^_^

すみよっさんは初詣に220万人以上の人で賑わいます。

追記
太鼓橋を渡り境内に入ると
第四本宮が神功皇后
第三本宮がウワツツノオノミコト
第二本宮がナカツツノオノミコト
第一本宮がソコツツノオノミコト

を祀っています。

Filed under: 堺のお話,観光案内 — kc-sakai 10:58 AM  Comments (0)

遊覧船ガイドの話の稽古⑤お酒の話

お酒の話
昭和40年代の記憶では「汚いわがまち」がデフォルトになっておりました( ̄ー ̄)
ゴミ箱みたいで悪臭のひどい土居川。
水が真っ黒で一般のゴミやら動物の骨が散乱してる大和川。
そりゃまー汚かったですねー。
でも汚い水環境は戦後の経済成長のスピードに下水整備が追いつかなかったここ70年ほどの話。
じつは明治から大正にかけて堺の製造業で1番盛んだったのは酒造業でした。
阪堺電鉄が南北に走っている「大道筋」の西側から南は石津あたりにかけて個人事業含めて100近い酒蔵があったというので驚きです。
海の沿岸でミネラル豊富の美味しい地下水があったんでしょうねー( ̄▽ ̄)
堺の酒造は室町時代からすでに記録があり、江戸時代には最盛期を迎えて明治時代にかけて6万石(一升瓶600万本相当)の生産高を誇り当時、灘、西宮、伊丹、堺ほか「摂泉十二郷」と呼ばれておりました。1879年(明治12年)堺の酒造家の鳥井駒吉さんが中心となって堺酒造組合を設立、酒蔵の火災保険会社、精米会社、酒造改良試験所など設立、醸造技術を進化させました。そして1887年(明治20年)共同醸造場を設立しコスト削減を実現。また酒容器では初めて瓶詰めで商品化して1888年(明治21年)バルセロナ万博に出展、それから日本酒はアメリカ、ロシア、朝鮮、ハワイ、台湾、沖縄などに輸出されるようになり外貨獲得で大いに貢献いたしました。
しかし、、1887年(明治20年)あたりから良質な水が不足するようになり仕込水を灘、西宮に頼ることが増えてきました。
また建物が密集している堺では酒造のための土地拡張が難しい。そのためどんどん酒蔵は灘へ引っ越し、95あった酒蔵が20ほどになります。
戦時中、酒造の制限もあって一つの会社にまとめられますが、のこった 酒蔵も空襲でかなりの被害がでました。
そして1966年(昭和41年)ついに堺のすべての酒造業は灘に移されて消滅しました。
灘で作られていた堺の銘柄「金露」、「都菊」も後の神戸の震災で被災、なくなってしまいました。
しかし近年、地酒復活に情熱を注いだ堺泉酒造さんが たいへんな苦労の末、2014年に「千利休」を蔵出ししています。いまも「フェニックス堺」の気概が受け継がれています^_^
Filed under: 堺のお話,観光案内 — kc-sakai 10:26 AM  Comments (0)
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